BTSと「アナーキック・エンパシー」①

BTSは他者の靴を履き、「Permission to Dance」を踊った

 

7月9日(金)、YouTubeをつないだテレビの前で私はソワソワしていた。BTSの新曲「Permission to Dance」のMVが公開されるのを待っていたからだ。13時ちょうどにいよいよMVが流れ出し、最初は笑顔で見ていたのだが、気が付いたら涙を流していた。「Permission to Dance」の世界観があまりにも希望に満ちていて、幸せがあふれていて、何もかもを包み込んでくれるような温かさに触れて、胸がいっぱいになったからだった。

 

楽曲の中で彼らは、

 

「When it all seems like it’s wrong/何もかもダメになってしまったときは Just sing along to Elton John/ただエルトン・ジョンの歌を一緒に歌うんだ」

 

「When the nights get colder/夜がだんだんと寒くなり And the rhythms got you falling behind/なんだか遅れをとっていると感じるときは Just dream about that moment/あの瞬間を夢見てごらん When you look yourself right in the eye , eye , eye/君が自分自身を見つめるときを」

 

「We don’t need to worry/心配はいらないよ」

 

「There’s always something that’s standing in the way/いつも邪魔する何かがある But if you don’t let it faze ya/だけど怖がらなければ You’ll know just hoa to break/どう乗り越えていけばいいかわかるようになる」

 

と、さまざまな不安を抱えて生きる人の心を励ましてくれている。

 

そして、

 

「I wanna dance/踊りたい The music’s got me going/音楽が僕を動かす Ain’t nothing that can stop haw we move/誰も僕たちを止めることはできない」

 

「Let’s break our plans/計画は壊して And live just like we’re golden/ただ輝きながら生きよう

And roll in like we’re dancing fools/そしてダンスに酔いしれたように楽しもう」

 

と、嫌なことは忘れて、音楽に身を任せてただ踊ろうと語りかけてくる。

 

そう、

「We don’t need Permission to Dance/僕たちが踊るのに何の許可もいらないのだから」

 

MVでは、序盤にマスクを着けて物憂げだった人たちが、終盤にはマスクを一斉に外して、陽気に踊り出す姿が映し出されている。そして、BTSの愛の象徴である紫色のバルーンが、空一面に舞っていく。

 

混沌として、窮屈で、まるで終わりがないかのようなコロナ禍の世界に暮らす私たちにそっと寄り添い、励まし、未来への希望を抱かせてくれる。「Permission to Dance」はそんな力を持つ楽曲だと思った。

 

あぁ、今の彼らにしか、こんな曲は歌えないな……。涙を流しながら、私はそう確信していた。

 

世界中に巨大なファンダムを抱え、ワールドツアーを行えばどの国もチケットはソールドアウト。韓国のアーティストとして初めてグラミー賞にノミネートされ、一つ前の楽曲「Butter」ではビルボードチャート7週連続1位という快挙を成し遂げているBTSという奇跡のようなグループ。

 

驚くほどの誠実さと謙虚さで、決して順風満帆ではなかったデビューからの険しい道のりを乗り越え、聞く人を癒したいと心から願い、ただ自分たちにできることにひたすら実直に取り組んでいる彼らが歌うからこそ、この楽曲は多くの人に届くし、多くの人の心を打つ。

 

しかも、この曲を彼らは全編英語で歌っている。これにもすごく大きな意味があると思う。

 

ファンの中には、「Dynamite」、「Butter」に続いて英語の曲を立て続けに出していること、この「Permission to Dance」に至っては彼らの特色であるラップを取り入れていないことに対して、「アメリカで売れるための戦略的な楽曲だ」とか「どうして韓国語で歌わないの?」とか「BTSは変わってしまった」などと批判している人もいるのだという。

 

いや、でも、その批判はお門違いだと私は思う。

 

パンデミックで沈んでいる世界を、明るく照らす。それが、彼らが「Dynamite」、「Butter」、「Permission to Dance」をリリースした目的だからだ。そのためにより多くの人が理解できる言語を用いて、歌いやすく覚えやすいスタイルをとっている。「金輪際、韓国語で歌いません」とか、「ラップはもうしません」なんて、彼らはひと言も言っていない。ただ、「今、世の中に必要な楽曲を、世界に影響を与えることができる立場にある自分たちが歌おうじゃないか」。それだけのことだ。

 

そこに説得力を持たせるのが、「Permission to Dance」の振り付けに「平和」「踊る」「楽しい」を意味する手話が使われていることと、「Permission to Dance」の文字を入れ替えると「Stories on Pandemic」もしくは「No Pandemic Stories」となる、粋な仕掛けだ。また、MVに登場する人々が、配達員、清掃員、介護人などコロナ禍にあっても我々の生活を維持するために働き続けたエッセンシャルワーカーや、ウエイトレスや子どもたち、高齢者などコロナ禍でつらい立場に立たされた人たちであることも特筆すべき点である。

 

Twitterには、聴覚障害のある人がこのMVを見て「BTSは僕に『踊って』って言ってくれてる!」と喜んだというエピソードが投稿されており、人種差別やジェンダー批判などにさらされてきた彼らが、マイノリティに向けてさらに一歩進んだ寄り添い方をしたことが注目されている。

 

今や世界的なスーパースターであるが、アメリカを中心とした世界の音楽シーンから見たらマイノリティである彼らだからこそ、このようなメッセージを打ち出して、世の中を照らす歌を歌うことに説得力がある。そして、彼らはそれをよくわかっているのだと思う。

 

さて、私はこの「Permission to Dance」がリリースされる少し前から、読み始めていた本がある。ブレイディみかこさんが書いた『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』というノンフィクションだ。

 

タイトルにある「他者の靴を履く」というのは、まるで相手の靴を履いてみるように、相手の考えていることや感じていることを想像することのたとえ。本には、この「他者の靴を履く」という行為は、「エンパシー」という人間の能力の一つで、訓練によって身に着けたり伸ばしたりすることが可能であること、世界の見方に広がりや深みを持たせてくれるものであること、などと書かれている。

 

これを読んでふと、BTSは進んで他者の靴を履こうとしているんだろうな、そして他者の心に寄り添って、自分たちができることを模索したんだろうな……、そんなふうに思った。

 

そして同時に、こんなことも思い出した。以前、BTSのリーダーであるRMが「みなさん一人一人がどんな仕事をして、どんな生活を送って、どんなことを考えて生きているのか知りたい。みなさんの人生について教えてほしい」とファンに語り掛けていたことを。

 

これはまさに、他者の靴を履こうとする意志の表れではないだろうか。彼らのファンは「ARMY」と呼ばれているのだが、彼らが発する「ARMYに感謝している」「ARMYに支えられている」「ARMYなしでは生きられない」という言葉を聞く度、「彼らはいったいARMYというものを、どの程度の解像度で見ているのだろう?」と疑問に思っていたのだが、「あぁ、対大勢ではなく、対一人一人という単位で彼らはARMYを見ているんだ、少なくとも見ようとしているんだな」と、合点がいったのだった。

 

彼らは、他者の靴を履く「エンパシー」の能力に長けた人たちなのだ。ファン一人一人、さらには世界中の悲しみにくれる人、不安に打ちひしがれている人、音楽を耳では楽しめない人、コロナ禍において必死で働いていた人たちの靴まで履いて、「Permission to Dance」という楽曲を届けてくれた。

 

ブレイディ氏は、本のなかで「エンパシー」を用いることの欠点、「エンパシー」が良くない方向に向いたときや過剰に発揮されてしまったときの懸念点を挙げて、「エンパシー」は、「アナキズム(あらゆる支配への拒否、self-government)」という軸がなければ毒性のあるものに変わってしまうかもしれないと説いている。そして、アナキズムの軸があるエンパシーのことを「アナーキック・エンパシー」と名付け、自分を手放すことなく、それでいて他者の靴を履くというスタイルを提唱している。

 

また、エマ・ゴールドマンというアナキストの次のような言葉を引用し、アナキズムの重要性を示している。

 

「それは、個人主権の哲学だ。それは、社会調和のセオリーである。そして世界を作り変えている、湧き上がる偉大な現存の真実であり、夜明けの先駆けとなるだろう」

 

これを読んで私は、BTSが持つ「エンパシー」の能力は、揺るぎない「アナキズム」に裏打ちされた「アナーキック・エンパシー」なのではないかと感じた。

 

夜明けの先駆け。

 

BTSの現状を表すのに、これほど適切な言葉はないのではないだろうか。

 

(この件、もう少し深掘りしたいため、次回以降に続く……予定)