アジアの天使

(監督:石井裕也/主演:池松壮亮/2021年)

 

おそらく、クライマックスのあのシーンは、賛否両論真っ二つに意見が分かれるのではないだろうか。
シュールで突飛でいいよね!という人もいるかもしれないが、正直言うと、私は「否」の方だ。

映画館だったから、小さく「え……」とつぶやくにとどまったけれど、自宅で見ていたら「は?意味わからん!私の涙を返せ!」と憤っていたに違いない。

(ネタバレせずにはこの想いを書けないので、これから見ようと思っている人は、読まないのが賢明です)


それは、映画のタイトルにもなっている「天使」が、何の脈絡もなくおもむろに、とんでもない姿で登場する場面だ。

実は、私はかなり最初の方から、天使モチーフに違和感を抱いていた。それを自分の中でなんとか誤魔化しながら楽しく見続けたのに、最後にあれだもん。
「やっぱり意味不明じゃーん!」と、違和感を悪い意味で全回収したような感じ。

私が抱いた違和感を織り交ぜながらあらすじを追い、ラストの私のショックな気持ちを伝えてみたい。


妻を胃がんで亡くし、ひとり息子と二人きりになってしまった剛(池松壮亮)は、兄・透(オダギリジョー)の「一緒に仕事をしよう」という誘いに乗って、心機一転、人生をスタートさせようと韓国へ渡る。
そしてソウルのあるデパートの催事場で、誰も耳を傾けない中、歌を披露する歌手のチェ・ソルを見かける。なぜかチェ・ソルが気になる剛。

その後に立ち寄った食堂で、剛とチェ・ソルは偶然顔を合わせる。しかし、まったく韓国語ができないのにも関わらずひたすら日本語で話しかけてくる剛を怪しい奴だと思い、チェ・ソルはその場を後にする。

それからすぐ、剛と透の兄弟は仕事仲間にだまされ、事業は破綻に追い込まれる。そして活路を求めてソウルから江原道(カンウォンド)へと向かうのだが、その列車の中で再び、チェ・ソルに出会うのだ。
チェ・ソルは、アルバイトで食いつなぐ兄と妹とともに、故郷へ向かう途中だった。このきょうだいもまた、ワケありだったのだ。
そして、どんな巡り合わせか、言葉が通じ合わないにもかかわらず、彼らは旅を共にすることになる。


まず、一つ目の違和感は、剛と透の兄弟が幼い頃に「天使に首筋を噛まれた経験がある」という設定。
「会った」だけでなく、「嚙まれた」という設定には何か意味があるのか?剛だけでなく、兄弟そろって経験しているのはなぜなのか?まったくもって謎だ。

とは言え、ピュアな子どもにしか見えないものがあるかもしれないし、夢見がちな子どもの頃の話だから、まぁそういうことにしておくか…と違和感をいったん封印。

もう一つの違和感は、チェ・ソルの前に急に天使が現れたこと。

彼氏だと思って付き合っていた芸能事務所の社長に、他に何人も女がいることを知り、失意のなかで街を歩くチェ・ソル。すると突然、彼女の目の前に眩しく光を放つ天使が姿を現すのだ。
え、そこまでだいぶリアルに彼女の人生模様を見せていたのに、いきなりのSF展開!?なんだか腑に落ちない。
天使を見たことで、彼女は故郷の両親の墓参りをしようと思い立つのだが、それはちょっと思考が飛躍しすぎな気もする。

でもまぁ、辛いときに何かにすがりたい気持ちが幻想を見せることがあるかもしれないよね、天使=天からのお告げで、お墓を連想するのもあるかもね…と違和感を再び封印。


日本人の兄弟+子どもと、韓国人の3きょうだい。最初は相容れない雰囲気だったが、チェ・ソルを強引な元カレから救ったり、剛の妻と韓国人3きょうだいの母が同じ病気で亡くなっていることがあきらかになったり、体調が悪くなったチェ・ソルのために剛が必死に病院を探したり。
そんなさまざまな出来事を重ねて、両者は心を通わせていく。
言葉や文化の違いを飛び越えて距離を縮める両きょうだいの姿は美しく、国は違えど、家族を大切にしたい気持ちは一緒なんだなと感じてしみじみ泣けた。

だけど。さらにもう一つの違和感が。それは、剛が「僕は昔、天使に噛まれたことがある」とチェ・ソルに話したときのこと。

それを聞いたチェ・ソルは、「この人(剛)が運命の人なのかな…」と言うのだが、ちょっと待って。
歌っていたデパート、その後に立ち寄った食堂、そして故郷へと向かう列車。もう3回も偶然出会っていて、さらには散々ピンチを救ってもらってもいて。
それでも何も感じずにいたのに、天使の話でようやく運命を感じないでー!遅いぞー!

でもまぁ、元カレがひどい奴だったし、慎重になってしまうのも無理はないよね…と、またも無理矢理、違和感を封印した。


ここまで、いくつもなんかちょっと…という想いを重ねながらもとりあえずこらえて、2つのきょうだいの交流ストーリーを楽しんできたものの。
それらの違和感をなかったものにするどころか、大きな爆弾にして盛大に爆発させたラストのあれにはもう、我慢ならなかった。


海辺で剛がチェ・ソルに想いを伝えるクライマックス。

砂浜を一人で歩くチェ・ソルの目の前に、天使が再び表れるのだ。まぁ、そこまでは良しとしよう。
でもその天使に、チェ・ソルが妙なことを言う。「お目にかかれるだけでありがたいのですが、あなたはどうしてそんな姿なんですか?私が悪い人間だからですか?」

「ん?」と思った矢先、カメラがパーンし、映し出されたのは、天使の羽をつけた髭面のおっさん。
もう一度言う。天使が、髭面のおっさん。
そしておっさん天使は、何をするでもなく、その衝撃的な姿を画面にさらすだけさらして、消えていく……。

何なの、これ!?意味わかんないんですけど!!!

映画館には、私のほかに20名くらいの客がいたと思うが、みんな失笑……。
その後、チェ・ソルが涙ながらに胸の内をさらけ出し、剛がチェ・ソルに愛の告白をするのだけれど、絶対いいシーンなはずなのに、おっさん天使ショックにやられてしまい、ほぼ覚えていない。

エンドロールが終わっても、おっさん天使ショックは抜けぬまま、「ねぇ、私の感動と涙を返して…」と、傷心のうちに映画館を後にした。
あれはいったい、何だったのだろう。天使を髭面のおっさんの設定にすることで、この作品は見る者に何を伝えたかったのだろうか……。

自分を納得させるために、いろいろと推測をしてみた。

スポンサーの偉い人に「天使入れてよ」と無茶ぶりをされて、嫌だけど断れなくてヤケになってあんなことをしたのかもしれない。
身内ノリで、こんなおふざけしてたらきっとみんな爆笑するだろうと思ったのが、失敗したのかもしれない。
いや、もしかしたら、おっさん天使はなにか哲学的、宗教的に深い意味を持っていて、それをメタファーとして入れ込んだのかもしれない。

いくつもの可能性を考えてみたけど、結局、私の心は救われなかった。
悲しい。あんなにステキな映画だったのに。あのシーンで感動がすべてなきものになってしまうだなんて。あぁ、悲しい。

ほかの人がどんな感想を持ったのか、これからちょっとレビューを検索してみようと思う。何らかの答えが見つかるといいな…。