羊飼いと風船

(監督・脚本:ペマ・ツェテン/主演:ソナム・ワンモ/2019年)

 

 

舞台は、神秘の地・チベット。牧畜をしながら大草原で暮らす夫婦と2人の息子、祖父の三世代家族の姿を描いている。

 

タイトルの「風船」は、子どもたちが遊び道具として欲しがった普通の風船のことであり、中国の一人っ子政策がチベットにまで及んだことを象徴するコンドームのことでもある。物語は、夫婦のベッドから息子たちが盗んで膨らましたコンドーム越しに、父親がバイクで帰ってくる様子を見守るところからスタートする。

 

ある日、みんなに慕われていた祖父が亡くなる。突然の死に家族は悲しみに暮れたが、しばらくして、妻の妊娠が発覚する。宗教上、輪廻転生を強く信じる夫は、一人っ子政策で罰金を取られることを承知で、妻に「産んでほしい」と頼む。

 

しかし妻は、中絶を望む。なぜなら、家庭を切り盛りしているのは自分だけ。3人の息子の世話と家畜の世話と家事でもう手いっぱいだ。それに、決して裕福とは言えない暮らしのなかで、もう1人子どもが増えることは、上の息子3人の教育に充てる資金を食い潰すことを意味する。今いるこの子たちにも、満足のいく教育、暮らしを与えてあげられるかもわからないのに、もう1人産むだなんて、身勝手だ。妻はそう考えていた。

 

そんな妻の心の内を知らず、考えなしに産むことだけを声高に主張する夫。夫に内緒で中絶手術を受けようとするが、すんでのところで病室に夫が駆けつけ目論見は失敗。このときに妻が流した一筋の涙が、彼女の絶望的な心を映し出していて、胸が痛んだ。

 

決して夫婦仲が悪いわけではないし、夫から激しく虐げられているわけでもない。けれど、あまりにも妻の想いが尊重されず、物事はすべて夫(男たち)の望むことに従って動いていく。結局、妻は子どもを産まざるを得なくなり、療養のために一時、寺へと保護されるのだが、もしかしたら、彼女は二度とこの家に帰ってくることはないのではないかと、そんな予感がした。

 

冒頭のコンドームを使ったシーンもそうだが、とにかく、映像の撮り方や風景の切り取り方が上手くて、見ていて惚れ惚れした。壮大なチベットの大草原、青い空。ときに激しい雷が鳴り、稲光が刺す雲さえ、美しい。うごめく生き生きとした羊たち、可憐な民族衣装。

そうした映像美を堪能するとともに、繊細に表現された妻の揺れ動く心に想いを寄せ。決して派手な作品ではないが、じっくりと見る者を惹きつける魅力を放っていた。

 

未知だったチベット民族の暮らしぶり、宗教観などにも触れることができ、大変興味深かった。