BOOK11

コロナの時代の僕ら
(パオロ・ジョルダーノ著/早川書房/2020年)

 

4月25日に発行されたばかりの、イタリア・ローマで暮らす小説家によるエッセイ。
コロナウイルスの感染者数が世界で8万5000人、イタリアで1000人を超えた2月29日からおよそ1週間の間に書き下ろしたもので、27カ国で緊急刊行された。

 

エッセイと聞くと、なんとなく著者の個人的な感情がぶちまけられたものをイメージしてしまうし、題材が題材だけに、意見が合う・合わないが極端に分かれそうだが、この本は違う。


それは、著者のジョルダーノ氏が物理学の博士号をもっている、論理的な思考の持ち主であるところが大きいと思う。

 

数字を用いた客観的な情報と、それに基づいた冷静な見解を、小説家らしい文学的な言葉で表現しており、そのバランスが秀逸。どんな立場の人もフラットに読める良著である。

 

例えば、コロナウイルスの感染拡大について述べている箇所では、ウイルスとその媒介となる人間を、ビリヤードの球に例えている。

 

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仮に僕たちが75億個のビリヤードの球だったとしよう。僕らは感受性保持者で、今は静止している。ところがそこへいきなり、感染した球がひとつ猛スピードで突っ込んでくる。この感染した球こそ、いわゆるゼロ号患者だ(未感染の集団に病気を最初に持ち込む患者)。

 

ゼロ号患者はふたつの球にぶつかってから動きを止める。弾かれたふたつの球は、それぞれがまたふたつの球にぶつかる。次に弾かれた球のどちらもやはりふたつの球にぶつかり……あとはこのパターンが延々と繰り返される。

 

感染症の流行はこうして始まる。一種の連鎖反応だ。その初期段階には、数学者が指数関数的と呼ぶかたちで感染者数の増加が起きる。時がたつにつれて、ますます多くの人々が、ますます速いスピードで感染するのだ。

 

それがどのくらいのスピードになるかは、あるひとつの数字にかかっている。あらゆる感染症の秘められた核心とも呼ぶべきこの数字は基本再生産数と呼ばれ、「R⁰」という記号で示される。記号の読み方は「アールノート」で、どんな病気にも必ずR⁰がある。


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この後に、丁寧にアールノートの説明がなされている。そして、アールノートの数値が小さければ小さいほど感染拡大の可能性は低くなり、そしてその数値を下げるのは、私たち人間の「行動の我慢」にかかっていると、彼は述べている。

 

物理学、数学にあかるくない私でも、なるほど…!と思える、わかりやすい解説。それが随所にちりばめられていて、どんどん読み進めることができた。

 

読み終わった頃には、それまでぼんやりしていたコロナウイルスのことが少し理解でき、漠然とした不安を消す一助となってくれたのだから、ありがたい。

 

彼は、エッセイのなかで誰のことも責めていない。ウイルスの発生源と言われている中国のことも、ウイルスなんてお構いなしに出歩いてしまう人たちのことも。


彼が一貫して述べているのは、このウイルスの発生や感染拡大は、「特定の誰か」のせいではなく、「僕ら」のせいだということ。

 

どういうこと?と思うかもしれないが、このパンデミックはそもそも、人間の身勝手な自然や環境への接し方や、軽率な消費行動が生んだものだということだ。


とどまることのない森林破壊、都市化によって、絶滅した生物の体内に生息していた細菌は、どこかへ引っ越しを余儀なくされる。森の中でまだ存命である生物だけでは足らず、家畜、そして人間ですらその新天地候補になる。

 

「こんなにも病原体に感染しやすく、多くの仲間と結ばれ、どこまでも移動する人間。これほど理想的な引っ越し先はないはずだ」と彼は書いている。

 

また、人口過多による食糧難は、それまで食用してこなかった生物の消費を促している。アフリカなどではエボラウイルスの貯蔵タンクであるコウモリを食べる人が増えているという。


今回のコロナウイルスも、感染源は中国の奥地のコウモリだと言うから、それを食べざるを得ない状況に陥る原因をつくったという点で、地球に暮らす人間すべてに責任があるという彼の考えは、正論だと思う。

 

あとがきで、彼はこんなふうに読者に訴えている。

 

「コロナウイルスの過ぎたあと、そのうち復興がはじまるだろう。だから僕らは、今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおりになってほしくないかを」

 

満員電車に乗りたくないとか、会社に行きたくないとか、そういう低いレベルの話ではない。元どおりにしてはいけないもの。私たちが自主的に元どおりにしないと決めて行動を起こすことで、未来にとって有意義な結果をもたらすもののことである。

 

日本に緊急事態宣言が発令され、自粛生活を余儀なくされてしばらくした後、私がフォローしているある人が、Twitterでこんなことをつぶやいていた。


「この生活のことを『旅』と呼ぶのが、家族の中で普通のことになってきた」と。

 

私は、こんなに怖い思いをして毎日を過ごしているのに、「旅」だなんて、なんて気楽な…と思ったのだった。


けれど、今ならなんとなくわかる。

 

スーツケース1つ、バックパック1つで事足りる(正確に言うと、事足らす)「旅」は、ミニマムな暮らしの最たるものと言えるのではないだろうか。

 

必要最低限のものに囲まれながら、知恵や工夫、ちょっとの我慢で、慎ましく暮らす。そんな「旅」のような生き方を、私たちは非日常の日々のなかで覚えたのだ。

 

便利さ、手軽さを追い求め過ぎた私たちは、自分たちが引き起こしたことであるにもかかわらず、未知のウイルスに恐れおののき、手も足も出せないでいる。


そして、あいつが悪い、いや、あいつだと、誰かに責任転嫁をすることに躍起になっている。

 

私たちは立ち止まって、己の暮らしを、生き方を、見つめ直す機会を得た。ここで見つめ直さないで、この後、いったいいつ見つめ直すというのだろう。


そのことを、この本は教えてくれた。

 

とある占い師が、「2020年は私たちの生活を根本から揺るがすような、生活を変えるような出来事が起きる」と書いていたのを思い出す。


それは、コロナウイルスによって日常生活が制限されるということではなく、その後の暮らし方、生き方を私たちが自らの意志で変えていくということを言っているんだろうな。

 


最後に、特筆しておきたいことがある。それは、ジョルダーノ氏の年齢が私の1つ下だということだ。


読み終わった後、「はぁ。こんな視点で物事を考えることができるなんて、よっぽど達観したおじさんなんだろうなぁ」なんて思いながら、何気にプロフィールを見たら…。

 

「えぇー!!!」

 

とどめの一撃という感じ。完全に打ちのめされた。私はいったい何をやってるんだろうって、落ちこんだ。そういう意味でも、私は暮らしを、いや、人生をしっかりと見つめ直して、変えていかなければ!