ミセス・ノイズィ

(監督・脚本:天野千尋/主演:篠原ゆき子/2020年)

 

ポスターを見て、最初は韓国映画かなと思った。クセのありそうなおばちゃんが写っているし、知ってる役者はいないし。

どう見ても、「イケメンや有名どころ出しとけばそこそこ動員するっしょ」という、近年の邦画の方向性とは一線を画しているように感じたから。

 

(あとから子役が新津ちせちゃんだとわかり、あぁ、日本の映画なのね、となった)

 

過去に一度だけヒット作を書いて以来、スランプが続く小説家・吉岡真紀が、夫と娘と共にとあるマンションに引っ越すところから物語は始まる。

 

ある日、執筆に夢中になって気がつくと、娘の姿がない。焦って近所を探しまくるが見つからない。途方に暮れていると、なんと隣に住むおばさんが娘の手を引いて訪ねてきた。

「この子が外で1人でいたから、うちで夫と私と3人で遊んだんだけど、眠たくなってみんなで寝てしまって。そしたらこんな時間で」と。

 

「勝手に他人の家の子どもを連れ込まないで!非常識じゃない?!」と真紀は激怒。そして、それから彼女は隣人のことを怪しみ、敵視するようになる。

 

またある日、原稿を書いていると、早朝にもかかわらず、バンバンと大きな音がする。集中ができず、思わずベランダからのぞくと、例の隣のおばさんが、勢いよく布団を叩いている。

 

「は?ちょっと、今何時だと思ってるんですか?!やめてください!!!うるさいんですけど!!!」とまたも、真紀は激怒する。でも、おばさんは「仕方ないのよ」の一点張り。

それから何度も同じように、早朝に布団をバンバンする行為は続き、我慢ならない真紀は、おばさんの迷惑行為を動画に撮って、SNSにアップした。

 

またたく間に動画は拡散され、布団バンバンおばさんは一躍時の人となる。近所には毎日見物人が訪れ、真紀の娘に話しかける姿を盗撮されたおばさんの夫は、「変態ロリコン野郎」というレッテルを貼られてしまう。

そして、そのことを苦にして、彼はマンションのベランダから飛び降りるのだ。

 

なんとか一命を取り留めたものの、今度は真紀が隣人を自殺に追い込んだ人物として、槍玉にあげられる。

ざまぁみろと思っていた立場から、責められる立場になって初めて、真紀は自分がしたことの重大さに気がつく。

 

おばさんが真紀の娘を家に入れたのは、純粋な親切心からだった。実際、真紀は忙しさとスランプによるいら立ちから、自分のことしか考える余裕がなく、娘のことをないがしろにしていた。

 

また、早朝の布団バンバンは、精神疾患により幻聴・幻覚の症状があって「布団に大量の虫が付いている」と怯えた夫に、虫を叩き落としている様子を見せる行為だった。

 

おばさんからしたら、真紀は、娘を放っておいたにもかかわらず、礼も言わずにブチ切れるやばい隣人。こちらの事情も知らず、「うるさい!」と激怒して、勝手に動画まで撮った迷惑な人間なのである。

 

おばさんは、真紀のせいで幸せな日常をめちゃくちゃにされた。けれど、マスコミに追われ、責められる真紀をかばってくれたのだった。そのおばさんの行動に、真紀は心から「申し訳ありませんでした!」と謝罪する。

 

誰か1人の視点から見た意見、主張だけをやみくもに信用してはならない。別の人から見たら、全く違う見解や事実が浮かび上がってくることがあるのだから。しかし、往々にして、声の大きな者、声を拡散する手段を持った者の意見や主張を、人々は信じてしまう。

それは本当に恐ろしいことだと、この作品を通してあらためて思った。

 

また、信憑性の低いこと、真実のわからないことであっても、それが突飛であったり、馬鹿にできるような対象であったとき、人はそれに飛びついて、好き勝手に批判し、笑い者にし、ありもしない噂を立てる。

誰かを見下したり、馬鹿にしたりすることで満足感を得ようとする浅はかな連中が、世の中には多過ぎる。そんな風に感じた。

 

インパクトのあるポスタービジュアル、布団バンバンおばさんというキャッチーなキャラクターからは想像できない、社会問題を鋭く浮かび上がらせた秀作だった。

良い脚本があれば有名俳優が出ていなくても良い作品が生まれるのだということも、よくわかった。そういう意味では、凝り固まった現在の日本の映画界に一石を投じるような作品でもあったと思う。