星の子

(監督:大森立嗣/主演:芦田愛菜/2020年)

 

望み

(監督:堤幸彦/主演:堤真一/2020年)

 

両親と思春期の子ども。そんなありふれた形の家庭を舞台に、「家族の絆」と「信じること」をテーマに描かれた2つの作品が、図らずも同日に公開された。

 

「星の子」では、芦田愛菜演じる15歳のちひろが、いかにも怪しい宗教にはまった両親のことを。

 

「望み」では、堤真一演じる父親と、石田ゆり子演じる母親が、同級生の殺人事件に巻き込まれて行方不明になった息子・規士(岡田健史)のことを。

 

子から親、親から子と、信じる想いの向きは違えど、両作品とも、「もし自分がちひろだったら」、「もし自分が規士の親だったら」、そんなことを思いながら、「信じること」を通して「家族の絆」について深く考えさせられる内容だった。

 

 

「星の子」の舞台挨拶の際に、芦田愛菜が語った「信じること」への持論が、話題になった。それはこんなコメントで。

 

「よく、その人のことを信じようと思いますという言葉を使うことがありますが、それってどういう意味なんだろうと考えました。それは、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とするその人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかなと感じて。

 

だから人は、裏切られたとか、期待していたのにと感じてしまう。でもその人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけであって、その見えなかった部分が見えたときに、あっ、それもその人なんだと受け止められる揺るがない自分がいるか、信じられるかということなのかなと思ったんです。

 

けれど、揺るがない自分の軸を持つのってすごく難しく不安になったりします。だからこそ、人は『信じる』と口に出して、成功した自分とか理想の人物像にすがりたいんじゃないかと思いました」

 

若干16歳の女の子が語るには、あまりにも大人びていて、あまりにも鋭くて、哲学的な言葉に、驚いた人が多かったのもうなずける。

 

 

「星の子」は、事前に見聞きした、この芦田愛菜の思想を念頭に置いて見ることができたからこそ、より物語に深く入り込めたように思う。

 

きっと、そういう人は多かったんじゃないかなぁ。

 

次第に宗教へ傾倒していく両親の様子について丁寧に描いてはいるものの、淡々としていて、正直、退屈感すら覚えてしまったので、作品を見る大きな指針があったことはありがたかった。

 

芦田愛菜のこの発言は、この作品を見るためのガイドとして大きな役割を果たしたと思う。愛菜ちゃん、いや、芦田さん、すごいなぁ。

 

 

私はこれまで、「日日是好日」、「セトウツミ」、「MOTHER」と、大森監督の作品はいくつか見ていて、どれも好き。大げさな演出や大どんでん返しはないけれど、登場人物たちの人物像や関係性を丁寧に描くのが上手だと思う。

 

でも、この「星の子」は、さすがに、もう1、2展開ほしかったなというのが、率直な感想。ラストシーンの後、「え、これで終わり?」と思ってしまった。

 

 

自分の両親が普通でないことをわかっていて、それでもそれを受け入れて生きる健気なちひろを、芦田愛菜が見事に演じていて、いい役者だなぁと感心したし、両親を演じた永瀬正敏と原田知世もすごく良かった。

 

さらに、某車の保険のCMで、派手に車に傷をつけられても怒らない仏のような岡田将生が、意地の悪い中学教師を演じていて、それも新鮮で良かった。

 

ちひろの家族がおかしいということを知っていても、偏見を持たずに接するクールな親友を演じた新音にも、とても魅力を感じた。

 

それだけに、尻切れトンボ的な脚本が残念だったなぁ。

 

 

とは言え、「MOTHER」を見たときにも感じた、子どもは親を選べず、親が世界のすべてで、否が応でも信じてしまうものなのだという、「信じること」の怖さみたいなものは感じることができた。

 

(「MOTHER」のレビューはこちらから)

 

「MOTHER」では、それが人の命を奪う結果になってしまったけれど、「星の子」では、誰も傷ついていない(ちひろの姉が家出をしてしまったけれど)。

 

ちひろには自分で切り開いていく未来があるのだという希望を感じることができたのが、せめてもの救いだった。

 

 

「望み」は、原作を読んでいなかったし、ほとんど前情報を入れずに見たので、真実がわかるまで、最初からずっと息を呑んでハラハラドキドキしながら見ることができた。

 

ある夜に外出をして以降、連絡がとれなくなってしまった息子。翌日、同じ高校の同級生が遺体で見つかったというニュースが報道される。

 

現場から2人の人物が逃走したという目撃情報があり、それが自分の息子かもしれないと狼狽する両親。事件を知る人物の家族だとして、マスコミに押しかけられ、ネットで個人情報を晒され、自宅に卵を投げられ、落書きをされ、誹謗中傷される。

 

そんななか、「もう1人死んでいるかもしれない」との情報が流れ、両親は困惑する。

 

 

「加害者であってもいいから、生きていてほしい」と願う母親と、「あいつは人殺しなどできる人間ではない」と主張する父親。

 

「死んでいてもいいってこと!?」と反発する母親に、父親は「そういうことじゃない!」と怒りをぶつける。

 

異なる意見で対立するが、息子を大切に想うことに変わりはない。そんな複雑で張り裂けそうな親の心中を、堤真一と石田ゆり子が、迫真の演技で表現していた。

 

 

堤真一は、建築士の設定。周囲にうらやましがられるような家に住み、いい車に乗って、キレイな妻とかわいい子どもたちがいて。

 

身だしなみも小ぎれいで、とてもかっこいいのだが、息子が行方不明になってから発見されるまでの間に、どんどん覇気が失せ、かっこよさが失われていき、さすが堤真一だなぁと思った。

 

映画「容疑者Xの献身」での演技を見た時から、個人的に「信頼と実績の堤真一」と彼の高い演技力を評価していたのだけれど、今回もまったく期待を裏切らない、素晴らしい存在感だった。

 

 

物語のキーパーソンとなる、息子・規士を演じた岡田健史も、ハマり役立った。顔立ちがキレイだから、いいところの子が似合うし、スポーツマンだから(高校野球で甲子園を目指していたらしい)、サッカーのシーンも違和感がなかったし。

 

何より、口数の少ない思春期の青年という、言葉よりも雰囲気で演じなくてはいけない難しい役を、上手に体現していたように思う。

 

 

冒頭でも書いたが、もし自分が規士の親だったら、息子をどんなふうに信じてあげられるのだろうかと、作品を見ながらずっと考えていた。

 

母親の気持ちも、父親の気持ちも、どちらもよくわかる。

 

結局は、起こった現実に対してどう対処していくかが重要なのだけれど、それ以前に、かき乱されて揺れ動く心を、どこに落ち着けていいのか、わからなくなるだろう。

 

しかも、相手は、自分の子ども。自分たちの分身と言っても過言ではないような、大切な存在である子どもをどう信じるかは、自分をどう信じるかということでもある気がして。

 

答えのない出来事に遭遇したとき、その人の本質が表れるのだろうなと思った。

 

この作品は、事件の真相はもちろん、その後の登場人物の心情まで描いていて、ちょっとびっくりした。

 

こんなにも丁寧に着地する作品を見たのは久しぶりだったから。

 

「見る者に考えさせる余白を持たせるべき」と、こういうわかりやすさを批判する人もいるかもしれないけれど、私は好意的に受け止めたし、こればっかりは作品によるのだと思う。

 

余白を持たせ過ぎたあまり、終始頭の中に「?」が浮かんで腑に落ちない作品もあるし、説明が多過ぎて疲れてしまうような作品もある。

 

「望み」は、丁寧に着地はしたものの、それぞれが想像を働かせられるような余白もしっかり持たせた、バランスの良い作品だったと思う。


 

描く世界観は違えど、共通するテーマを持った2作品。子を持つ親にはきっと、より刺さると思う。見比べてみるのも、おもしろいはず。