BOOK 13

素数たちの孤独

(パオロ・ジョルダーノ著/ハヤカワepi文庫/2013年)

 ※単行本は2009年発売

 

先日読んだエッセイ「コロナの時代の僕ら」で、すっかりパオロ・ジョルダーノのファンになってしまった私。

 

これは、彼の小説作品を読まない手はないだろうと、デビュー作にしてイタリアで200万部超えの大ヒットを記録した本書を手に取った。

 

200万部って、とんでもない数字だな。どうして、この本がそこまで多くの人に支持されたのか。読後にそれを考えてみたとき、2つの理由が浮かんだ。

 

1つは、「文学性」と「論理性」の絶妙で繊細なバランス。

 

冒頭の主人公の心理描写と、風景描写によって、私はたちまち物語の世界に引き込まれてしまった。

 

部屋の様子や外の風景、登場人物の一挙手一投足、ささいな気持ちの揺れ動きなどを、詳細に、丁寧に描いているから、まるで映像を見ているかのように、リアルにシーンを思い浮かべることができる。

 

加えて、思わずうなるような美しい表現があちこちに散りばめられていて、もっと読みたい、ずっと読んでいたいという気持ちすら、湧き出てくるのだ。

 

そんな文学的に優れた文体や表現に、素粒子物理学が専門の博士らしい、論理的な思考に基づいた設定や展開、表現がブレンドされていている。

 

読んでいるうちに自分が賢くなっていくような錯覚さえ覚えてしまうくらい。

 

そもそも、「素数たちの孤独」というタイトルがすでに、文学性と論理性が見事に混ざりあった、センスの塊なんだよなぁ。

 

第5章「水のなかとそと」の冒頭に、こんな文章がある。

 

「素数は1とそれ自身でしか割り切ることができない。自然数の無限の連なりのなかの自分の位置で素数はじっと動かず、他の数と同じくふたつの数の間で押しつぶされてこそいるが、その実、みんなよりも一歩前にいる。

 

彼らは疑い深い孤独な数たちなのだ。そこがマッティアには魅力的だった。時々、彼はこう思うことがあった。素数が普通の数の間に紛れているのはひょっとすると何かの間違いに過ぎず、ネックレスの真珠のようにそこにはまり込んで動けなくなってしまっただけではないか。

 

だが、ある時にはこうも思った。素数だってみんなと同じ、ごく普通の数でいたかったのかもしれない。ただ、何らかの理由でそうすることができなかったのではないか。」

 

「素数」に「孤独」を見出し、それによって人間の「孤独」を表現するだなんて。おしゃれすぎるよ、ジョルダーノさん。

 

この、ジョルダーノ氏の文章の魅力を損なうことなく(もしかしたら、本人より上手に書いていたりして)、日本の我々に届けてくれた訳者の飯田亮介さんにも、大きな賛辞を贈りたい。

 

 

2つめは、誰の人生においても永遠に解決することのない「孤独」がテーマであること。

 

はたから見てどんなに幸せそうな人だって、ひたすら夢に向かっている人だって、良い人も悪い人も、人間は皆、大小あれど「孤独」を無視して生きることはできない。

 

幼い頃、スキーでケガをして片脚が不自由になってしまったアリーチェ。幼い頃、知的障害のある双子の妹を公園に置き去りにし、その妹が二度と戻ってくることはなかったマッティア。

 

2人の主人公が抱える「孤独」は、悩み、葛藤、不安、絶望など、さまざまな感情を生み出して、周囲の人との関係性にも暗い影を落とし、「孤独」はさらに深まっていく。

 

その様子を、読みながら観察しているうちに、彼らの感じる「孤独」が、まるで自分のことのように思えてくる。

 

また一方で、彼らと自分を比べて、自分は彼らほど「孤独」ではないなどと、謎の安堵感を抱いたりもする。

 

その感情がとてもリアルに生まれてくるものだから、2人の人生にのめり込んでしまって、ページをめくる手が止まらなくなるのだ。

 

物語の結末は、私が想定してものと違っていた。私は面食らって、「え?」とつぶやき、最後の数ページを読み返してしまった。

 

小説だとはいえ、きれいに終わらせない。まるで、実在する2人を追った、ドキュメンタリーを見たような感覚。

 

これまでに読んだどの小説とも違う、ジョルダーノ氏にしか書けない、唯一無二の作品だと思う。

 

このコロナ禍を経て、彼が次にどんな作品を生み出してくれるのか、とても楽しみ。早く新作が読みたい。