その手に触れるまで

(監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ/主演:イディル・ベン・アディ/2020年)

 

舞台は、ベルギーのとある町。13歳の少年・アメッドとその家族は典型的な、ごく普通のイスラム教徒だった。アメッドが「過激派」に洗脳されてしまうまでは。

 

ベルギー在住のジャンピエール・ダルデンヌ監督いわく、「ベルギーのムスリムの人たちの大半は、過激派ではなく、ベルギーの社会に同化している」という。

 

しかし、近年、フランスやベルギーでイスラム過激派によるテロが発生しており、それが「この映画を撮る後押しとなった」のだとか。

 

アメッド少年は、小さな商店の2階で行われる礼拝に参加し、そこで出会った導師によって、行き過ぎた信仰に傾倒してしまう。

 

「女性に触るのは不潔だから」と、先生と握手をしない。母親にキスを求められても「身体を清めた後だから」と拒否をする。

 

信仰によって命を落とした従兄を「かっこいい」と崇め、インターネットを使って預言者の言葉を聞いて祈りを捧げる。

 

ある日、アメッドがずっとお世話になったきた女性教師が、歌でアラビア語を学ぼうと提案するのだが、導師はそれを「聖なる言葉を歌で学ぶなど冒涜的だ。あの教師は背教者だ」と批判する。

 

その導師の言葉に導かれるようにして、アメッドは女性教師を殺すことを決めるのだ。

 

「アラーは偉大なり」

 

そう叫んで女性教師にナイフで襲い掛かるアメッド。女性教師は間一髪、逃げて命を落とすことはなかったが、アメッドは少年院に送られてしまう。

 

しかし、少年院に入ったからといって、母親が「もとのあなたに戻ってほしい」と泣いたからといって、一度「過激派」へと傾いた心は、簡単には変わらない。

 

少年院の中で、母親に宛て「ママがちゃんとしたイスラムになってくれたら、僕のことを誇りに思ってくれるはず」という手紙を書き、女性教師殺害の計画を練り続けるのだ。

 

ほんの1カ月前まで、ゲーム三昧で無邪気に遊んでいた普通の少年だったのに。短期間で、彼をここまで変えてしまったものの正体は何なのか。

 

特定の信仰をもたない私には、不思議でならなかったし、理解することが難しかった。

 

しかし、「何かを過剰に信じてしまって、まわりが見えなくなる」という状態を、つい最近目にしたなと、ふと思ったのだった。それは、先日の都知事選でのことである。

 

私がInstagramでフォローしているあるシンガーが、ある候補者を推していて、日に日にその程度が過激になっているように感じたのだ。

 

私はそのシンガーが飼っている猫と、4歳の娘さんのかわいらしい姿に癒されたいという理由でフォローをしていた。

 

そしてそのうち、そのシンガーが、捨て猫や児童虐待などの社会問題にも敏感で、そういう関係の活動をしていることを知った。

 

それに対しては、「立派な考えを持って行動していて、えらいなぁ」くらいにしか思っていなかったのだが、こと選挙になると、そのシンガーは様子が違ってしまい、こちらとしては戸惑ってしまうのだ。

 

今回の都知事選に限っていうと、序盤は「政治に関心をもとう」とか「1票は重いから選挙に行こう」とか、そういうトーンだった。

 

それが、徐々に「世の中のこういう課題に、この候補者は真摯に取り組もうとしている」とか、「この候補者は、こんなに末端の都民のことを考えてくれている」とか、具体的な候補者への支持を見せ始める。

 

そして、ついに、投票日前日には、「誰に投票するか決めてない人も多いと思う。決められない人がいて当然。だったらせめて、心のキレイな人に投票しようよ」と呼びかけ、その候補者のお涙頂戴エピソードが書かれた記事をシェアしたのだ。

 

さすがの私も、これにはちょっとひいてしまった。「心のキレイな人」って…。

 

あなたは、その候補者のいったい何を知った気になっているの…?どうしてあなたは、その候補者に投票することを他人にそこまで勧めるの…?

 

政策でも理論でもなく、完全に心をもっていかれてしまっている様子に、何か特定の宗教が絡んでいるのではないかとすら思ってしまい、私は「絶対にその候補者に投票するのはやめよう」と決めたのだった。

 

さらに、その候補者が落選した翌日には、そのシンガーの夫が「小池さんに投票した人の意見を聞きたい。こうなってしまったからには、そういう立場の人の声を聞くしかない」と、投稿する始末。

 

どうしてこんな結果になってしまったんだろう、自分たちは正しいはずなのに。そんな想いがダダ漏れしていて、怖くなった。

 

ある思想や宗教には、その教えを純粋に信じ、心の支えにして生きる「穏健派」と、その教えが絶対的な善であり、誰もがそれに従うべきで、それがわからない人間は排除しても構わないという「過激派」がある。

 

特定の宗教を信仰している人が少ない日本では、政治の場面において、その人の思想の過激さが強く露呈するのだと感じた。

 

そのシンガーが推していた候補者は、TwitterやInstagramなど、SNS上ではかなり人気で、この感じだと当選もありえるかもとすら思っていたのだが、蓋を開けてみたら、小池さんの圧勝。

 

投票結果を見る限り、その候補者を推していたのは、声の大きな過激派気味の人たちだったということがよくわかった。

 

まぁ、現職ではなく別の候補者を応援している人は、現状を変えてほしいという想いが強いから、声が大きくなるのは当然なのかもしれないけれど。

 

正直、そのシンガーの歌を、ラジオを、これからどんな気持ちで聞けばいいのか。これまで通り、かわいい猫と娘の姿を、純粋な気持ちで楽しめるのか。そんなふうに思ってしまい、この件は本当に残念だった。

 

かなり脱線してしまったが、映画の話に戻ると、ラストシーンが衝撃的。衝撃というより、あっけにとられるというか。「え?この先は?」と、気になりまくる終わり方なのだ。

 

世界中で賛否が分かれているという、尻切れトンボ的なラスト。私としては、あと2シーンくらい見たかったというのが本音。

 

でも、映画館からの帰り道、アメッド少年の行く末を想わずにはいられなかった。きっと、見た人の大半がそうなんじゃないかな。

 

皆がアメッド少年のこれからや、思想や宗教について大いに思いをめぐらせるだろう。そう考えると、この終わり方はある意味正解なのかも。それが監督の狙いなのかも。そうだとしたら、憎いなぁ。

 

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