82年生まれ、キム・ジヨン

(監督:キム・ドヨン/主演:チョン・ユミ/2019年)

 

昨年、韓国で公開され、男性からは軒並み低評価を、女性からは絶大な支持を得たという話題の作品だ。

 

私は81年生まれなので、タイトルを見た瞬間、ハッと心惹かれるところがあった。

 

監督のキム・ドヨンは、この作品を「私の家族、友人、そして私たちの物語だと思っている」と語っている。

 

物語の主人公は、キム・ジヨン。名字は、韓国国民の半数を占める「キム」。名前も、韓国女性の中でポピュラーな「ジヨン」。そう、これはありふれた、どこにでもいる女性の姿を描いた映画なのである。

 

 

物語のメインは、キム・ジヨンが結婚、出産した後の日々について。そこに、彼女の幼少期からの思い出が回想シーンとして取り入れられている。

 

正直、この作品には、結婚願望のない私が、なぜ結婚したくないのかという理由がすべて込められていたと感じた。そして、これまでの人生で見聞きしたり、経験したりしてきた、「女性」であるがゆえの理不尽で不当な現実を、あらためて目の当たりにして、少しめまいがした。

 

これまでも、そして現在も、「男性」であるという理由だけで優遇され、横柄に振る舞い、多くの過ちが見逃されてきた男性たち。それが作品中にあまりにもはっきりと描かれているものだから、彼らがこぞって低評価を付けるのもうなずける。

 

 

私はフェミニストでも何でもない。

 

しかし、性的趣向や性自認ではなく、単純に性別としての「女性」に分類された者だけにのしかかる、さまざまな不利益が存在することを、よく知っている。

 

 

物語の中で、少女時代のジヨンは、弟だけが父親の出張土産で質の良い万年筆をもらったことに不満を抱く。自分と姉はただのメモ帳なのに、どうして?

 

母親が親戚に「男の子を産まなきゃダメ」と言われているのを聞き、疑問を抱く。女の子も男の子も同じ子どもなのに、どうして?

 

バスの中で痴漢に遭い、迎えに来た父親に「スカートが短いからだ」と言われ、それが腑に落ちない。スカートが短ければ、お尻を触ってもいいの?どうして?

 

 

広告代理店に就職し、バリバリと働いていたが、大きな長期プロジェクトのチームに入ることができなかった。選ばれたのは男性ばかり5人。聞くと「女性は結婚をするかもしれないから」とのこと。結婚しても、仕事は続けられるはずなのに、どうして?

 

女性の先輩が出世し、それに対してお祝いの言葉を述べるが、先輩はこう言う。「同期の男性はみんな、もっと出世している」。能力には差がないはずなのに、どうして?

 

 

結婚をし、姑に「子どもはまだなの?」と言われ続けて辟易するジヨン。それに対して夫は「別に生活が変わるわけじゃないし、どうせいつかは産むんだから、今でもいいんじゃない?」と言う。子どもが生まれて、生活が変わらないわけがない。なぜそんなことが言えるの?どうして?

 

正月は、必ず夫の実家に帰らなければいけない。臨月で辛いのにも関わらず。実家に帰ったら夫はゆっくり休める。でも、自分はこき使われる。私だって自分の実家でゆっくりしたいのに、どうして?

 

妊娠、出産、育児で仕事をあきらめなければいけないのは、女性だけ。あれだけバリバリ働いていたのに、泣く子を抱きながら家事をし、イヤイヤ期で食事をしてくれない子どもに手を焼き、自分の時間など一切とれない。夫だって親であるはずなのに、私だけが、どうして?

 

子どもを連れて公園に行けば、見知らぬ男に「夫の稼ぎで気楽に暮らせていいよな」と陰口を言われ、カフェで子どもが泣けば「迷惑だ」と言われる。何も知らないくせに、そんなことを言われるのはどうして?

 

仕事に復帰しようと考えるが、預け先が見つからない。パン屋で午前中のパートをするくらいしか、就けそうな仕事はない。夫や独身の女性は好きな仕事ができているのに、どうして?

 

夫が「育児休暇を取ろうか?」と提案してくれたものの、姑に知られ、「息子の人生を台無しにする気なの!?」と罵倒される。夫婦ふたりで納得して決めたことならいいのでは?どうして?

 

 

多くの女性がジヨンをわが身に置き換え、今時の言葉で言うなら「わかりみが過ぎる……」と、しみじみ思ったに違いない。

 

知らぬうちに追い詰められて、精神的に不安定になっていくジヨン。その姿に、映画の後半は、ずっと涙が止まらなかった。

 

 

この作品では、夫がジヨンの変化に気付き、「僕が君を追い詰めてしまったのではないか」と涙して謝罪。彼女を労わりながら共に回復を目指すという、明るい未来が見えそうな終わり方をしたからまだ良いものの。

 

世界には、夫に虐げられ、姑にいじめられ、子育てに追われ、居場所をそして自尊心を失くした女性たちが、ごまんといる。

 

 

そう言えばこの間、結婚が決まったばかりの友人が、「夫の上司夫妻と、1泊2日のキャンプに行かなくちゃいけない」と言っていた。そんなの、マジで罰ゲーム以外の何ものでもない。

 

何が楽しくて、貴重な休みに、知らない目上の人に気を遣うばかりの、地獄のような時間を過ごさなくてはいけないのだろうか。聞くところによると、飲み会などにもたまに同伴させられるらしい。

 

「え、それって、何のメリットがあるの?」と、思わず、友人の彼氏もいる場で言ったら、彼氏はぎょっとしていたし、「がっつり体育会系の職場だから……」と言い訳していたが、いやこれ、下手したら離婚の理由にもなり得る案件だからな。

 

てか、まだ妻でもないのに、職場のキャンプや飲み会に連れて来いとか、女を男の付属品だとしか考えていないモラハラ気質のクソ野郎の所業でしかない。

 

私なら、断固として拒否するか、行ってやるから日当(5万円くらいかな)を寄越せと、彼氏に言うだろう。割りの良いバイトと割り切ったなら、まだ耐えられそうだ。

 

 

某企業で、面接をした結果、上から順に採ると女性ばかりになってしまい、男性を採用しないと体裁が悪いからと、せっかくの優秀な女子学生を落とすとか。

 

某大学の医学部で、女性の受験者は点数を低くつけられていたとか。

 

「誰でも良かった」なんてほざきながら、無差別殺人の犯人が狙うのは、結局、女、子ども、老人であるとか。

 

 

いったい、何年経ったら、こういう日常が是正されるのだろうか。これからの未来を担う子どもに、男女平等、性別不問の教育をする学校現場がそもそも、ひどい男尊女卑体質なのだから、正直、希望は持てなさそうだ。

 

それ以前に、おいおい、老人会の役員か?と言いたくなるような、棺桶に片足突っ込んでるじじいばかりが国を動かしているのだから、どうしようもない。

 

あきらめず、いちいち自分を奮い立たせて、戦っていくしかないのだろう。女って、大変だ。だけど、女って、強いのだ。