天外者

(監督:田中光敏/主演:三浦春馬/2020年)

 

三浦春馬が主演の時代物。これは見ないわけにはいかないだろう。きっと素晴らしい作品が見られるに違いない。そう確信して、劇場に足を運んだ。

 

でも、私が想定していた期待値が高すぎたのだろうか。正直、見終わって「大満足!」と言えるような出来ではなかったように思う。

 

主演俳優が公開前に自ら命を絶ったという事実をきちんと差し引いて、色眼鏡なしで鑑賞したつもりだ。その上で、率直な感想を述べたい。

 

まず最も気になったのは、日本の近代の礎を築いたスケールの大きな男の生涯を描いた物語であるにもかかわらず、作品全体のスケールがとても小さく、完全に役者の技量頼みで成り立っていたという点だ。

 

舞台は、江戸の幕末から明治初期にかけての日本。明治維新によって、流通、身分制度、文化や外交などがそれまでとガラリと変わり、今日に至る近代日本経済の基礎が築かれた。

 

武士として、役人として、また実業家として、坂本龍馬、岩崎弥太郎、長州の伊藤博文ら同年代の若者たちと共に明治維新の旗振り役をした男、五代友厚の若き日から没後までが描かれている。

 

現代の話ではないので、もちろん、セットを組んだり、普段から時代劇が撮られているような撮影所で撮らざるを得ないことは、重々承知している。

 

とは言え、どうにか、もう少しリアリティを追求できなかったのか?予算がなくて仕方なくこうなってしまったのか?と思うようなシーンが本当に多くて、残念だった。

 

特に、外国へ向かう船の甲板で語り合う、五代友厚(三浦春馬)と、坂本龍馬(三浦翔平)のシーン。船のセットが、ちょっと大掛かりなコント番組のレベルなのである。

 

そこで、真剣な芝居をしなくてはいけない役者2人が、気の毒に思えて仕方なかった。

 

他にも、すごく迫力のあるアクションシーンなのに、こんな狭い部屋でやらされて…とか、あらゆるシーンでいちいち、セットの規模感やリアリティが気になって仕方なかった。

 

そして、もう一つモヤモヤしたのは、もっと深掘りしてほしい部分がたくさんある反面、無駄なのでは?と思うシーンも多かったということ。

 

特に、五代友厚とその妻・豊子との関係性。豊子に出会う前に恋仲にあった、遊女・はるとの関係については、長い時間をとって描かれているのだが、豊子とのシーンが圧倒的に少なくて、これでいいの?と思ってしまった。

 

豊子は「天外者=人並外れた才能の持ち主」であるゆえに破天荒な友厚を理解し、懸命に支え、晩年までしっかりと寄り添った、友厚にとって重要な人物なはずだ。

 

そもそも、出会いのシーンがかなり後半だったので、豊子の出番は圧倒的に少なかった。出会いのシーンの後、もうすでに彼らは結婚していて、何に惹かれ合って夫婦になったのか不明だったし、あっという間に歳を重ねてしまい、ふたりの信頼関係みたいなものを感じられないまま、友厚は死を迎えてしまった。

 

せっかく豊子役には、三浦春馬の高校の同級生である漣沸美沙子をキャスティングしたのだから、もう少し彼女の人となりや、ふたりの絆を示すようなシーンがあっても良かったと思う。

 

また、ラストシーンのあっけなさにも驚いた。

 

友厚は、「革命のために多少の犠牲は仕方ない」と、民衆の気持ちよりも制度の刷新や事業の推進を進めてきたため、反発する人が多く、お世辞にも慕われているとは言えない人物だった。

 

しかし、彼が亡くなったと聞き、何千人もの人が列をなして、彼の死を悼みに訪れるのである。そこで初めて、彼のやってきたことは間違いではなく、日本を発展させるために懸命に奔走してきた彼の想いがきちんと伝わっていたのだということがわかるのである。

 

そういう感動的なシーンであるにもかかわらず、ただ人々が友厚の自宅の前に行列を作っている様子にナレーションをのせただけ…。

 

せめて、「彼のこういう行動に心を打たれた」とか「彼がこんなふうにしてくれたから、自分は今こうしてこういうことをしていられるんだ」とか、友厚に感謝している人物にしゃべらせるくらいしてほしかった。

 

これじゃあ、全然、多くの人に悼まれていることが伝わらないよ…。なんでこんなにあっさり終わらせちゃったの…?と、最後の最後でさらに作品の評価が下がってしまった。他のシーンを削ってでも、ここは丁寧に描くべきだったのではないだろうか。

 

例えば、友厚がイギリスの船に捕らえられ、解放された後、横浜から関西へ自らの足で山をいくつも越えて向かうシーン。やたらと山を駆け抜けるカットが多くて、なんで春馬くんはこんなに無駄に走らされているのだろう?と疑問に思った。

このシーンは確実に短くすることができたはずだ。

 

また、坂本龍馬が暗殺され、岩崎弥太郎(西川貴教)、伊藤博文(森永悠希)、そして五代友厚が悲しみにくれるシーン。

そのとき五代友厚は外国にいたから仕方ないとして、いつも一緒にすき焼きを囲んで食事をする仲だった岩崎弥太郎と伊藤博文は、なぜそれぞれ別々で泣いているカットが撮られたのだろうか。スケジュールが合わなかったとか?

二人まとめて泣いているシーンを撮れば、その分、他のシーンにまわすことができたはずだ。

 

もう一ついらなかったのは、大阪市長・松井一郎氏の出演シーン。後半のハイライトとも言える場面で、大阪府知事・吉村洋文氏とともにエキストラの一人として登場していたのだが、エキストラのくせにセリフがあり、それがあまりにも下手で(というか、滑舌が悪く、何を言ってるのかまったく聴き取れなかった)、それなのにちゃんとカメラで抜かれていて、「何だよこれ…」と、興ざめしてしまった。

 

せっかくの大事なシーンが見事にぶち壊されていて、これをカットしなかった監督の判断にマジでむかついた。

 

他にも、「このシーン、尺とり過ぎじゃない?」というところがいくつもあって、本当にもったいなかったなぁ。

 

とは言え、主演の三浦春馬の演技は、想像を超える素晴らしさだった。繊細さと、大胆さと、力強さと、優しさを見事なバランスで表現し、五代友厚という人物を完ぺきに魅力的に見せてくれた。これは、この作品が彼の遺作であるとかないとか、それを関係なしにして、心から言えることだ。正直、それだけが唯一、この作品を見る価値のある点だったと思う。

 

彼の好演に、作品が頼り過ぎていた感が否めない。彼の類まれなる演技力なしで、この映画は成り立たなかっただろう。

 

だからこそ、余計に残念で、無念でならない。作品の出来も、彼の死も。叶うことなら、この世に戻ってきて、彼の力に釣り合った良い作品に出てほしい。この先、彼の新たな演技が見られないなんて、どうか嘘であってほしい。