少年の君

(監督:デレク・ツァン/主演:チョウ・ドンユイ、イー・ヤンチェンシー/2019年)

 

鑑賞直後、私はSNSにこんな感想を書いていた。

2021年ナンバーワンかも。それどころか人生の中でも忘れられない作品になりそう。何泣きなのか自分でもよくわからないまま、後半、延々と涙してしまった。見る者の人生観や生き方さえ変えてしまうような「映画の力」を強く感じた。レビューを書きたいが、その前にもう一回、見に行きたい。

そしてその通り、2回目を見に行った。
1回目は水曜日の割引DAYに見たのだが、「こんな素晴らしい作品を割引料金で見るなんて馬鹿だった!」と猛省。2回目はあえて通常料金で鑑賞させていただいた。

2回目ももれなく、エンドロールが終わるまでに泣き止めなくてトイレに駆け込むという事態に陥ったわけだが、とうとうと流れてきたあの涙の理由は何だったのだろうと、よくよく考えてみた。

断言はできないけれど、なんとなくこれかもしれない。それは、作品に込められた強い「覚悟」と、主人公二人の間に生まれた「愛」の尊さに心が震えたから。
この2つが、冒頭に紹介したコメントにある「映画の力」を生み出して、大きく胸に響いてきたのだと思う。

主人公・チェンは大学受験を目指して進学校に通う高校生。友人をつくることもなく勉強に明け暮れていたある日、クラスメイトがいじめを苦に飛び降り自殺を図ってしまう。
彼女がいじめられていたことは、チェンをはじめクラスの全員が知っていた。しかし誰も止めようとはしなかったし、彼女と口をきこうともしなかったのだ。


クラスメイトが自殺をしたにもかかわらず、受験があるからと何ごともなかったかのように勉強に励む生徒たち。

そして、いじめの加害者は悪びれることなく、チェンを次なるいじめのターゲットにする。自殺をした子と同じように、チェンにはさまざまな暴力や嫌がらせが降りかかる。けれどもちろん、誰も助けようとはしてくれない。

作品の冒頭、スクリーンには「この作品がいじめ撲滅の一端を担うことを願う」というメッセージが映し出される。
エンドロールでも、中国で近年どんないじめ対策が行われるようになったか、社会がいじめ撲滅のためにどう動いているかについての説明がなされている。

これは異例なことだと思う。いじめについて描かれた作品は数あれど、見る人に何を訴えたいのかを冒頭でここまで明らかにするものを、私はほかに知らない。
見た人が自由な感想を持って、それぞれのなかで消化してくれたらいいよという、一般的な作品とは一線を画していると感じた。

「世の中からいじめをなくしたい」

作品に込めたこの確固たる意志をストレートに伝えられたとき、それを押しつけがましく感じる人もいるかもしれない。でも、「それでも構わないのだ」という作り手の覚悟が潔い。

壮絶ないじめを受けながら、無情な受験戦争や学歴社会に生きるしかないチェン。
母親に見捨てられ、希望のない荒れた生活を送る、もう1人の主人公・シャオベイ。
これまで歩んできた道はまったく違うし、歩もうとしている道も異なる二人だったが、心の奥底にある「孤独」が呼応し合い、距離を縮めていく過程は、壮絶な物語のなかにありながらも、見ていてとても微笑ましかった。

例えば、シャオベイが運転するバイクの後ろに乗るチェンの様子。最初は顔をこわばらせて落ちないようにつかまっているだけなのだが、回を重ねるごとにシャオベイへの寄り添い方に変化が生まれる。
どんどん身をゆだねるようになって、この上なく幸せそうな表情を浮かべるようになって。
同時にシャオベイもチェンに心を許していくのがわかり、いつの間にか二人で一つのような、圧倒的なニコイチ感が生まれていたのが不思議だった。

救いようのない辛い現実に一筋の光をさし込ませ、二人に生きる力を与えたのは、孤独な二人の間に生まれた「愛」。
言い換えれば、その「愛」を望みにする以外に、二人には生きる力は湧かなかったのだ。

だからこそ、二人は究極の選択をする。大きくて揺るぎない「愛」を守り抜くために。物語の後半はその想いが痛いほどに伝わってきて、胸が苦しかった。


結局、二人は離れ離れになってしまうのだが、おそらくその場面で終わりにしても作品は成立したと思う。実際、離れた二人のその後を描かずに観客の想像に任せる作品は多い。

でも、最後に4年後の二人を見ることができたことに、私は心からほっとした。ほっとしたと同時に、やはり、作り手側の強いメッセージを感じた。

どんなことが起きようと、信じられる愛があれば人は強く生きられるのだと。


人生において大切にすべきことは何なのかを、弱くて強い、そして、強くて弱いチェンとシャオベイに教わった気がしている。

本当はもっといろいろと書きたいが、私が詳細を語れば語るほど、作品のイメージが安っぽくなってしまうのではないかと怖くなったので、このへんで。
「少年の君」に、出会えてよかった。また見たくなってしまった。3回目、あるかもしれない。